多率寺
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方丈山多率寺は泗川市昆明面竜山里にある寺で、大韓佛敎曹溪宗第14教区本寺である梵魚寺の末寺です。
寺の名前が寺を重修するたびに変わったのは、新羅時代の寺のほとんどが高僧の名前を創建主として、由来とその伝統を高める意味でしばしば改称されたものと考えられています。寺の名称は1704年以前の記録には霊嶽寺と出てきますが、1758年からは一環して多率寺となっています。寺の名前である「多卒」に対して、この寺に松の木が多かったためだと |
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いう説もありますが、主山がまるで大将軍が座っているようなので、率いるという意味で多率といい、軍隊を率いるという意味を含んでいます。
これに多率寺の入り口には渓谷の水をためた貯水池があり、渓谷の平らな地帯には松の集団地と巨木の赤松が空高く密林をなしている中で、間間にモミの木が群集をなしています。寺の入り口から鬱蒼とした樹木が自然の力強い気性を誇るように、寺の入り口に入ると鳳鳴山が高く力強くそびえ、周辺の山脈が2本の腕を広げているように寺を抱いています。鬱蒼とした竹が寺の周辺を包み、寺の前の広い広場周辺にはモミの木が並んでいます。主山である鳳鳴山の雄大な偉容と渓谷の樹木が千年古刹、多率寺と調和をなしています。
寺の入り口の大きな岩に「御禁穴」という封表が大きく刻まれており、これは高宗22年(1885年)に僧侶らが直訴して高宗まで王命で禁止させたものだそうです。
繁った緑陰の間を通り境内に入ると大陽樓があります。慶尚南道有形文化財第83号に指定された大陽樓は1749年に建立され、現在まで保存されています。正面5間、側面4間、全体の建物の長さが13メートルにいたる建坪106坪の大きな建物で、どっしりとしていますが、古拙な味わいがあります。大陽樓に上がる階段の前には、1704年に建てられた多率寺の重建碑が立っています。カメの体のような自然石の上に霊嶽寺重建碑という碑名が刻まれています。現存している建築物としては、寂滅宝宮を中心に慶尚南道有形文化財第83号に指定された大陽樓、應眞殿、極楽殿などがあり、僧房と宗務所など10棟の建物があります。1914年12月7日多率寺に不意に火災が発生しましたが、3年間の必死の努力の末、1916年に大雄殿、羅漢殿、冥府殿をはじめ禅堂、僧堂などが再建されました。この時大陽樓の上には秋史金正喜の揮毫である「游天戱海」という懸板がかかっていましたが、今はその行方はわかりません。
普安庵には墓の形をした石窟があり、木造前室を過ぎて2メートルほど入ると石室があります。石室の中には中央に仏像、後ろ側の左右に各々8つの羅漢像が配置されています。慶州の石窟庵の様式に倣った点が注目されます。この石窟の後ろに位置している河東郡理明山の石仏寺址とも深い関連があるものと思われています。
日本帝国強占期に韓龍雲、金法麟、金凡父、崔凡述などが卍党を結成しここ多率寺で隠居しながら独立運動をしました。寺の周囲で栽培されている竹露茶は般若露という名前で広く知られています。
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